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会社に依存せず稼ぐ

お金持ちマインド

収入源が「労働」による給料ひとつだけで本当にいいんですか?安心ですか?


「良い大学行って、良い会社に入れたら一生安泰だから」

私が青春時代を送った30年前のバブルの頃は、こんな風に言われていて私も例外ではありませんでした。私もその言葉を疑うことなく良い大学に行くために勉強に励み、良い企業に入社するために就職活動をしていました。
良い大学に入って良い企業に就職することが目的だったので、当然の如く就職活動では多くの辛苦をなめました。その上、団塊ジュニア世代の私には入社試験を競うライバルがたくさんいて、書類審査や難しい筆記試験を突破し、いくつか面接を通過したとしてもいつも最終面接で落ちる、というパターンでした。
そりゃそうでしょ。目的がとりあえず入社できれば良かったんだから。入社後にやりたいことが分からない、それ以降のビジョンが曖昧、上手く言葉で取り繕ったとしてもそんなんは面接官もお見通しでしょう。資格や検定や知識で武装したつもりが、その武器はなんの役にも立ちませんでした。
そして私は就職氷河期の申し子になり、親や親せき、近所の人に「就職活動に失敗した人」のレッテルを張られる前に海外へ逃げたのでした。

いまの若い世代は生まれた時から日本は不況で、リーマンショックやらコロナ禍やら苦境を過ごしてきています。「一生安泰」と楽観的になれずどこかしら危機感を持っている人が多くいるかも知れません。私はそれが健全だと感じます。ただ一方でこの不況の世の中が自分の人生のスタンダードになってしまっていると、そのスタンダードが意外と居心地良くてその環境に慣れてしまい、リスクを冒してコンフォートゾーンを出ようという意欲がなくなっている人が多くいるのも確かです。

「良い大学行って、良い会社に入れたら一生安泰だから」は私たち団塊ジュニア世代の思い込みです。
まぼろし。幻想。私たちの上の世代、さらに上の世代がつくった呪縛です。私たちはこのフレーズを知らず知らずのうちに周囲から刷り込まれて長い間生きてきました。そしてその刷り込みに気がつかず、意識的にならず、時代が変わった現在でもまだ洗脳されたままでいる人が多くいるのも事実です。
私自身、このことに気がついたのはやっと3,4年前のコロナで外出自粛生活を送っている時です。
それまでなんとなくは感じつつも、感じないふりをしていた。自分の人生に無関心だったと言われてもおかしくないけど、直視するのが怖かったんです。

この不安定な社会で戦っていく生きていく武器が自分には何もないことに気がつかず、思考が長い間停止してしまっていることにそろそろ気がつかないと。奪われた思考を取り戻さないと。
自分が生きていくための収入源が「労働」しかなかったことをのちのち悔やむ前に。
「労働」を否定している訳ではありません。労働も立派な収入源の1つです。長い間当たり前にそこにあると思って自分の人生やお金に向き合わずにいた姿勢に、とても危うさを感じます。

お金持ちは「労働による収入源しか選択肢がないこと」はとても危険なことだと考えているようです。
お金持ちになる上で労働しか収入源がないことは始める前から無理ゲーで、収入源を複数持つことがお金持ちの常識なんです。
私自身いまは労働で収入を得ることをしていませんが、必要に迫られればそれも立派な選択肢の1つになります。やるやらないは別として労働を掛け持ちすることも、また1つです。

・労働
・金融投資
・不動産投資
・ネットショップ
・せどり
・情報配信
・広告収入 などなど、稼ぎ方は時代によって変わるけど、労働以外にお金を得る方法はいつでも存在します。
自分に何ができるのか、何がしたいのか、人生設計において何を目指しどんな形で収入を得ていくことが良いのかを考えることはとても大切でありワクワクします。
「労働一択」である現状に疑問を持つこと、麻痺した思考を巡らせてお金と自分の生き方に真剣に向き合うことは、お金持ちになるために必要不可欠です。避けて通れないところです。
いまの時代、いつ何があっても不思議ではないです。でもリスクばかりに気を取られ不安に支配されて行動できないのは昔の私と同じです。選択するのも選択しないのも自分次第なんです。

この記事は私自身の考えを共有するものであり、投資を推奨するものではありません。
投資はご自身の判断と責任において行って下さい。この記事は一切の責任を負いません。

「時間の無駄遣いは人生の無駄遣い」
これもお金持ちの常識と言ってもいいです。
「ただでさえ人生は短いのに、好きでもないことに時間を費やすのが勿体ない。嫌いなことをやらないと好きなものが得られないなんて、誰が決めた?お金を得る方法はいくらでもある。けど、それを使う時間がなかったら、何のために稼いでいるのか。貯めるために稼いでも面白くない、貯めるなら将来の自分の楽しみのために貯めるんでないとね。」

会社員時代の私にとっての収入源は、労働によるお給料と投資でした。
投資を選択したのは、
「リスクはあるけど限られた時間でも効率的に稼げるかも知れない、ただでさえ少ない時間をなるべく掛けずに楽に増やしたい」という理由でした。最初は怖さでネット株売買のクリックする指が震えました。
誰にでも平等にある時間を味方にできて、お金がお金を生み出すことができる仕組みがあるのが投資。
やるかやらないか。やらなくてもそこそこの平凡な人生は送れるかも知れない、でも私が本当に望んでいるのは?何事も始めない限り成功はない。自分が納得できる金額から始めよう。
そう考えて投資の世界の扉を恐る恐る開いたのでした。そして2年半が経ち現在私が行っている投資は、
・つみたてNISA
・投資信託(つみたてNISAとは別で)
・株式投資(米国株)
・株式投資(日本株)
・FX

こうしてこの記事を書いている間も、お金は勝手に動いてくれています。時間を味方につけています。

投資に限らず自分が知らない世界は怖いです。でも始めてしまえば別世界ではないんです。怖さは妄想だったと後からわかります。単に知らないだけ。「知る」という行動をしていないだけです。
稼げたらいいなあと頭では思いながら、自分にはそれは無理と最初から決めつけて行動しないのは、知らない世界を知ることが怖い自分への言い訳。始める前から諦めてしまっているから、稼げる訳がありません。自分でその選択肢を消去しているんですから。

お金持ちは言います。
「資産があればその資産がまた勝手にお金を連れてきてくれる。働かないとお金が得られないなんて、誰かがつくった幻想。できないんじゃない。やらないだけ。」
「お金に働かされるのではなく、お金に働いてもらう。どう動いてもらうか支持をするのは自分。稼げるかどうか見極めるのも自分次第。それも含めてお金に向き合うことが面白い。」

「一生安泰」の刷り込みの責任を誰かになすり付けても、答えは外側にはありません。
自分の人生の責任は自分にあると考えている人は、多分とうの昔に気がついています。今それに気がつけたら今から考えたらいいんです。自分の人生です。無責任に生きず、自分がどうしたいのかどう生きたいのかを考えるところから始めたらいいんです。

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